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Women's Global Economy Conference 日中韓女性経済会議
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06年開催講演録他
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第2部 ディスカッション
テーマ3<文化交流>
『日中韓の文化交流のこれから』

●モデレーター:泉 宏 氏(時事通信 取締役 編集・国際・解説委員担当)
●日本:鶴岡真弓 氏(多摩美術大学 教授、ケルト美術研究家)
●韓国:崔 善鎬 氏(韓国伝統文化学校 教授)


■日本(モデレーター)泉宏 氏 (時事通信 取締役 編集・国際・解説委員担当)

文化交流は民族、宗教、地政学的なものすべてを包含したものだと考えます。限られた時間ではありますが、異なる専門分野と考え方を持った方に、それぞれの立場からお話をしていただき、日中韓の文化交流を考えていきたいと思います。また、昨日、このディスカッションを開催するにあたり、3国の女性ジャーナリスト会議をさせていただきました。


《3国ジャーナリスト会議》
開催目的: 11月2日(木)に開催される「日中韓女性経済会議06」の前日に、参加各国のジャーナリストがともに開催主旨を理解し、相互理解のもとで自国メディアに発信することを目的にする。またこの機会を、各国のメディア事情の情報交換の場とする。
開催日: 11月2日(水)(15時45分集合) 16時〜17時半
会 場: 帝国ホテル5階 エグゼクティブルーム
参加者:
  • 泉宏 氏(時事通信 取締役編集・国際・解説委員担当)
  • 李佩钰 氏(Li Peiyu)氏(中国経営報 総編集長)
  • 熊蕾(Xiong Lei)氏
    (首都女性ジャーナリスト協会副会長 前新華通信社Executive Director)
  • 文敬蘭 氏(Moon Kyung Ran)氏
    (中央日報論説委員 韓国女性記者協会副会長)
  • 武田三千代 氏(放送作家)
ほか
内 容: 【女性の社会進出とジャーナリズム】
  • メディアでの女性の地位=各国の違い
  • 政界、官界、経済界での女性の地位
  • 女性の社会進出への壁はあるのか

【文化、心の交流とメディア】
  • 韓流ブーム、華流ブーム=映画、音楽、テレビ番組 ヨン様 冬ソナ おしん 中国映画  安倍昭恵首相夫人の韓国語
  • 文化交流と経済交流
  • インターネット普及と相互理解の進展=反日デモ、サイバー攻撃
  • 著作権、知財……法令の違い

【政治、安全保障】
  • 北朝鮮核実験と6カ国協議=東アジアの安全保障と核問題
  • 靖国問題、歴史認識、小泉政権から安倍政権への変化

【本音をぶつけ合い、相手の意見を聞くことで深まる相互信頼】
=政治体制の違いを乗り越えて=

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■日本 鶴岡真弓 氏 (多摩美術大学 教授、ケルト美術研究家)
『アジアの「袖」スタイルにみる、トレードとコミュニケーションの表現 』
——日中韓「ネオ・オリエンタリズム」の文化戦略——

はじめに———アジアの伝統は、「知恵と方法の宝庫」

私たちは裸で生まれ、裸で土に還っていきます。生きている間だけ衣服を身につけているのです。着ることは生きるということ。活動であり、意思表示であり、アイデンティティの表出でもあります。

西洋の真・善・美の基準となったギリシャの古典哲学や芸術が生まれたのは2400年前。アジア、オリエントの国に暮らす私たちは、この基準を意識せざるを得ず、そういう意味ではグローバルに生きてきたともいえます。私たちが今身を包んでいる洋服の袖は筒型。これは西洋人の機能的、合理的考え方の象徴ということができます。しかし、東洋の伝統的衣服に目を向けると、それが知恵と方法の宝庫であることがわかります。そこで、アジア、オリエントの伝統的な衣装の「袖」に焦点を当て、お話をしたいと思います。

1. 豊かな「袖」の表現によるトレードやコミュニケーション

1-1.オリエント世界に共通する、伝統の「袖」のスタイル

東洋(オリエント)には、西洋(オクシデント)にはない、感性や情緒にあふれたトレードやコミュニケーションの方法があります。私はそれが「袖」に象徴されていると考えてきました。

アジアやオリエントの衣服は、ゆったりとした豊かな「袖」に特徴があります。人間の肌を優しく包み込み、その動きからは着る人の情緒や表情までが感じられます。シンボリックな「袖」の文化、美的オリエンタリズムは西洋に大きな影響を与えてきました。

1-2. 感情や情緒に関する「袖」のフレーズ

アジア、オリエントにおいて「袖」は、人の思い、喜びや悲しみ、能力、財産、大自然との関わりを表しています。日本語の代表的な表現を挙げましょう。

  • 「袖にする」Sode ni suru(Put hands in sleeves)
    「おろそかにする。ないがしろにする」といった意味。「手を袖に入れたまま何もしない様子」を表しています。英語に訳すと、単に「冷たい肩を向ける(Give me the cold shoulder.)」という表現になりますが、日本では暗示的、美学的な表現となっています。この表現は、次の伝統的なフレーズから発展したものです。

  • 「袖を振る」Sode wo furu(Swing sleeves to seduce someone)
    「愛情を示す」あるいは「別れを惜しむ」の意味で、男女の情愛を表し、このフレーズは物語を始めるように展開していきます。

  • 「袖を重ねる」Sode wo kasaneru(Put my sleeves on yours)
    「相愛の者同士が愛し合うこと」。「男女の情交」を表します。

  • 「袖を濡らす」Sode wo nurasu (Watery on sleeves)
    「情愛ゆえに泣く」「別れ」を表します。

「袖」は思いや愛情のシンボル。出会い→愛のサインを送り→愛し合い→それ故に泣き→別れる、という出会いから別れまでが「袖」というモティーフだけで雄弁に語られます。重要なのは、この表現が中国を起源とし、朝鮮半島に伝わり、奈良時代の日本で受容されたこと。日中韓で共有されてきたということ。「アジアの袖」は、情緒や感情や精神を表現する「文化」の共有でもあったのです。

1-3. 経済や財産、人間の才能に関するフレーズ

政治・経済の活動でも「袖」を用いたフレーズが使われることがあります。

  • 「無い袖は振れない」Nai Sode wa furenai
    お金や財産、能力を持っていないと、何もできないことをあらわす現実的でシビアなフレーズです。これは、西洋で言うところの、「持っていないものはにあげられない(A man can not give what he has not got.)」。英語は非常に率直です。

  • 「袖の下」Sode no sita (Under the table, Under the sleeves)
    現代の用法では、利益を見込んで内密に金品・賄賂のやりとりをするというダーティなイメージで使われます。しかしこの言葉にはいきいきとしたトレードとコミュニケーションの行為が表現されているのです。古来、市場では売り手と買い手が「袖の下」から手で合図を送って商談をしていました。時間をかけて生み出した、美しく合理的なテクニック。値段交渉のために「袖の下(中)」で活発に指が動く。そのとき「袖」は、魅惑的な魔法の壷のような役割を果たします。なぜならその「袖」のなかから富が誕生するからです。「袖」は最終的には富裕・富貴のシンボルなのです。


2. シンボリズムとコミュニケーションツールとしての「袖」

日本や中国、韓国の宗教者、たとえば僧侶たちの服は、非常に大きな、ゆったりとした「袖」を持っています。喜びや悲しみ、説明のできない不思議なできごとを、この「袖」が受けとめているのです。「袖」には宇宙、自然までが呼び込まれているわけですね。

「オリエンタリズム」という言葉は、パレスチナ出身のアメリカの批評家、エドワード・サイードが述べているとおり、西洋が東洋を支配するときに使われきた概念です。しかし、サイードも書いているように、じつは支配と魅了がワンセットになったものがオリエンタリズムの正体。西洋人にとってオリエントは限りない魅惑と美と可能性に満ちた憧れの土地でした。だからこそ、西洋人はオリエントの支配を欲したわけです。

オリエント文化が西洋を魅了してきたことを、私たちは自覚すべきです。それが私のメッセージ「ネオ・オリエンタリズム」という考え方。「袖」1つだけでも素晴らしいデザイン、ニュアンス、メッセージが伝えられます。今こそアジアン・スタイルのさまざまなアイテムを発信していくべきです。アジアの美徳を、スタイルを世界に発信していくべきだと思います。

英語の「Even a chance acquaintance is preordain.」という言葉は、偶然の出会いも、生まれる前からの深い縁であるという意味です。日本語では「袖振り合うも他生の縁」ですね。「Heart to Heart」よりさらに踏み込んだ「Spirit to Spirit 」。そんな関係を創造するときがきています。

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■韓国 崔 善 鎬 氏 (韓国伝統文化学校 教授)  (事務局責任編集)
『「韓流」から考える、21世紀アジア文化のビジョン』

私は未来に対するビジョンという側面から文化についてお話したいと思います。

21世紀に入って、文化のパワーはさらに強くなっているような気がします。文化というものは水が流れるように、行き来するもの、流れるものです。水たまりのように停滞した状態では文化は成立し得ないのです。文化とは往来して影響を及ぼし、影響を受けるもの。それはすでに古代に始まり、中世、近代、現代に至るまで連綿と続いているのです。

ニューヨーク大学で学んでいたころ、よくワシントンの桜を見に行きました。アメリカ人は以前は野蛮だと思っていた刺身を好んで食べるようになりました。独特のものだと思っていた文化は、このように交流することで受け入れられるものなのです。たとえば、晋時代の中国で発明された爆竹を知ったとき、西洋人は非常に驚きましたが、これを好んで使うようになったのも西洋の人々でした。

ある文化が持続して、広く波及していくこと、そして大きな力を発揮することが、グローバル化の礎石となります。とはいえ、一時代に瞬間的に流れているものは文化とはいいません。それは流行とかファッションという類のものでしょう。でも、その流行やファッションが長く続き、定着して自生力を発揮したとき、一時代の文化となるのです。歴史は継続する性質を持っています。そのプロセスで文化は高級志向を追求します。高級文化とは生き方をより質の高いもの、教養のあるもの、品位のある方向性を目指すもの。そして大衆文化とは、大衆が楽しむ一般文化です。今日は、そうした文化がどのように形成されるのか、そのきっかけについて、また「韓流」はどのように形成されたのかを考えてみます。

文化は2つの側面から形成されています。1つは自然的な結果であるということ。もう1つは人文的な要素が結合された総合的な結果であるということです。

自然というのは、たとえば種をまき、木が育って、やがて実がなるというような相対的な結果。日本、中国、韓国は、地域と自然が違うわけですから当然、文化も異なるわけです。中国は大陸的な広大な気質。これに比べて、韓国は小さな半島です。四季がはっきりしていて、土が安定している。日本は島国ですが、韓国よりもずっと大きくて、地震、台風など自然災害が多い。このように異なる風土の中で、独自の文化が生き残ってきたわけです。

文化とは流れていくもの、流れ着いてくるもの。中国から朝鮮半島を経て日本に流れていった文化は、独自に発展を遂げ、ブーメラン現象を起こして21世紀に戻ってきています。

1つ例を挙げてみましょう。韓国文化の場合、その文化の根は李王朝500年の歴史を持つ儒教に基づいています。儒教に則った500年間、男女は徹底して区分されました。男性の役割は出世をして学問的に世の中を治めること、女性は子どもを産んで教育をし、家庭を営むことが役割でした。この李氏朝鮮時代の高級文化の中心であったのが両班(ヤンバン)、つまり特権階級です。この特権階級文化での女性は教育担当でした。そして、女性が担った教育が朝鮮戦争などの痛みや困難を克服したのです。たとえ貧しくとも母親は子どもたちに最高の力を注ぎ、最上の教育を受けさせました。韓国の献身というのは母親の情熱。近代において韓国がいちはやく成長できた原動力となったのは、李氏朝鮮500年の歴史で先祖が学び、育んできた教育、哲学なのです。

それでは「韓流」はどのように形成されてきたのか。じつは韓流という単語は韓国では使われません。ペ・ヨンジュンさんも、イ・ヨンエさんも普通の俳優さんでした。しかし、彼らがいつの間にか大きな波及効果をもたらすようになった。韓国の人々が「これが韓流なのか」と認識し始めたのは、その後からです。

振り返ってみると、中国と日本に挟まれた韓国は、かつては隠れた存在でした。以前、私たちにアイデンティティがないのだろうか、伝統のない、文化の国なのだろうか、と考えたこともありました。しかし、そうではないのです。韓国という国が、急速にグローバル化市場に足を踏み入れ、飛躍的な跳躍を遂げた過渡期の痛みだったのです。儒教の根本哲学に華麗さはなく、高級な品位を守っているもので、徳を中心としていました。ですから、美術様式、建築様式などのすべてが表面上シンプルです。伝統衣装にしても、日本や中国の民族衣装がとても華麗でカラフルなのに比べ、韓国のハンボ、韓服は単調な色のものが多い。韓国の文化は見た目だけではわからないものが多いのです。しかし、よく見れば「これが韓国であるのか」とわかります。それが一種のKorean Styleです。

文化交流において最も大事なことは、相手方の固有の文化を認める大きな心です。知らない文化に出会えば、最初はカルチャーショックがあり、拒否感もがあります。しかし、それの段階を経て自生的な力が芽生えたとき、新たな文化が花開くわけです。その種を植え、新たな実を収穫する、それがとても大事だと思います。

文化は流れ着くもの。ですから21世紀の未来の文化は交流しなければなりません。人や物が行き来することで道ができるのです。文化が停滞して、孤立してしまったら道はできません。グローバル化は、今後さらに進むでしょう。いつまでも、自分たちの文化に執着するのではなく、文化をオープンにして、新しい文化が集まり、融合したときに新たなパワーが生まれると思います。そのときこそアジア的価値が輝きを放つことでしょう。日中韓の文化は、巨大な西洋文化に正面から立ち向かうことができると思います。

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